さかのまちからこんにちは。

書くことによって色々考えてます。なので、読みづらかろうと思います。が、せっかくなのでお付き合いいただけるとうれしい気持ちです。

上履きを買うの巻/漠然と今、東京大学に行って学びたい。

仕事の話を書き始めてみたいと思います。どうなるかわからんので、途中投げ捨てたりするかもしれません。

人事と言われる仕事をしているのですが、「もう失業しているようなもんだよねー」ということと向き合おうというのが最近のミッションだったりします。つまり、今まで通りだともう全然仕事にならない=喜ばれない/割に合わないという問題をなんとかして解決しなきゃいけないよねという話。これまでも人がそうなっている時の手助けは、あたしの経験としてもたくさんしてきているような気がするのですが、自分のことってなかなか手がつかないよね。という感触を得ています。まあそりゃそうですわ。だからみんな後手に回るわけで、それを「あほー」と何度も言ってみてきたわけです。

で、それをやるのはやろうって話なのですが、少し脱線して、その過程で昔のすごさみたいのもやっぱり感じるなぁという話。そしてそれが断裂しているなぁという話。

恥ずかしながら3年ぐらい前に読んだのですが、『賃金とは何か』という本はすげー古典みたいな本で、早く読んでおけばよかったとおもっています(可愛い後輩にプレゼントしたことすらあります)。今(または少し前)の賃金の概念がどのように形成されてきたかということが当事者の話で紐解かれていると思います。それを読んで、その視座に立って見た時の、あたしが「もう失業している」と呼ぶような世界の腑に落ちる感。つまり、順を追って考えていくと「確かにそうね」ということはやっぱりあるんだなぁという話。で、でも一方で、「だから何?」と敬意を払いつつ言わないといけないようね。と思うのです。そういう交流が、どこかで断絶してしまっているような気がしています。最近もまた全然違うレイヤーの話で昔のすごさに触れいてまして、「まじでーーー!!!」みたいな気持ちになりました(日本の最高学府出身者は貴重だった的な話)。で、それって誰がしってんのかなぁ。。。と。まあみんなが知ってる必要はない(つまり、あたしが知らないのは判断であり、他の必要な人はちゃんと知っている)かもしれないけど、ほんとに誰も知らないんじゃないかなぁ、若い人。や、若くない人も。と。でもその断絶によるロスって大きいのではと思います。少し飛躍するのですが、例えば、逆に断絶していないことだけが中心になっていて、自分たちを規定しているように思います。し、おしなべて言って歴史的な背景(順を追って考えいく機会)やそもそも始まり(本質的な意味)はとても断絶しているように感じます。

それでもできちゃうぐらい仕事がモジュール化されているというのはすごいことなのですが、変化への対応が非常にしづらいよねぇ。と。

あ、なんだかひどいこといってます?あたし。嫌な気持ちになってしまっていたら、ここまで読んでいただいたのに大変申し訳ございません。でもでも、まあ別にあたしのいる世界に限らず、一般的にもそれなりに言えることじゃあないでしょうか?今日読み始めた『GEの口ぐせ』という本を読んでもそんなことを考えていました。

もう一度飛躍しますが、まあやっぱり定期的に「自分は(or自分たちは)、何者であるのか?」ということを考えないと辛い世の中になってますよね。そういう仕切り直しをしないで死んでいけるほどおおらかな社会ではあきらかになくなっていると感じます。

まあそういうことにアジャストしていくというのがまあ今の仕事ですよね。と。なんか脱線から戻った風に話をしておきます。はい。

 

*「当たり前に読んどるわ、あほ!!」 と各方面から怒られそうですが、日本で賃金をもらうような人は一度ぐらい読んでおいた方がよいような気がします。大げさにいうと、かいつまんで教科書に載せといていいような話だと思います。ぜひどうぞ。

ちなみに、こういうthe古典みたいないい本。あったらバシバシ教えてください。本読みたい熱、高いです、今。

 

で、その「口ぐせ」っていんじゃないのかなぁって最近漠然と思っていたのです。

嘘でもいいので、みんなで、同じことを言い始めてみるみたいな。

や、別にあんまりそんなちょっと怪しい感じな感じを進める気はないのですが、「あのチームの人ってみんななんだかんだ言って、「で、それ食べれんの?」ってどっかで聞いてくるよね」みないなのは、チームの意義だと思うんですよねー。別に「口ぐせ」という行為じゃなくてもいいのですが、なんかそういうもの。うまく掬い上げられないかしら、と。これは多分つくるものじゃなくて、気付くものだと思うのですよね。

あらゆるチームに向けて、この手の話をパッケージ化して、売りにいけるような気がするけど、もっとも大切なピースは自分たちで見つけるしかない。で、本当の意味でそれが失われているのであれば、それはもう一旦解散してもいいかもしれない。というようなことを思うのですよねー。ちょっと言葉が強すぎてドキドキしちゃいますが、思うところでございます。わ。

 

また全然話変わるんですが、今日は割とあたし不機嫌で(昨日の篠田さんの話はどーしたのだ!!とはつっこまないでください、未熟者なのです、あたし)、えらく兄くんをどやしたような気がします。やー、そのなんでしょう。別に正しさがなかったとはいわないのですが、かっこよくはなったくないよなぁと反省しています。

で、彼って今多分『退屈』で死にそうなんじゃないかと思うのです。

なので、リアクションがもらえることをなんであれする(たとえ、怒られることでも)という状況なんじゃあないかなぁと思うのです。でも、一方で、「よくないこと(=怒られるようなこと)」の理解も少しだけ進んでいて、彼の中でも葛藤があるのだと思います。苦しんでいる様子がたまにみて取れます。し、一方で、「わー」って気持ちで無視する様子もみて取れます。

これは、おとなしく一人で楽しく遊ぶことができるようになるまでの過渡期と理解しています、今、わたしは。

で、あたしの作用の仕方によって、この期間は長くも短くもなると考えています。そして、これまでの関係性で言えば、仕事ばっかりしてたので(というと聞こえがいいですが、要するに家にいなかったので)、長くする方向に傾けていたと思います。また、彼は今、「録画した番組を持って」いて、おまかせでそれなりに『退屈』をどうにかできる環境を持っています。その意味でも期間を長くする方向に傾けています(後者の話は、彼特有の話という意味ではなく、むしろ今の時代の全体の環境の話と考えます)。育休の期間はできるだけ、短くする方向に傾けるように頑張りたいと思います。そのために一つでも多くの語彙を教えること、できるだけ発達のレベルにあったおもちゃを楽しんでもらうこと(ipadは多分早いし、録画したアニメも多分早い)、おおらかでいること、に取り組んでいきたいと思います。子供は教えなきゃできないことが多いですが、教えると割とできることも多いと理解してますんで、まあ頑張りますー。と。

 

やー、しかし、2歳児と乳幼児を連れて、雨の中スーパーで買い物をするってどうやったら、快適に実現できるのかなぁ。。。にゃかにゃかに難しいよね〜。世の中の人々はどうやってんのかなぁ。。。

 

んでは、また。